Tsuyoshi NAKATOMI / ナカトミツヨシ

Tsuyoshi NAKATOMI

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描く過程から見えてくるもの -  by Tsuyoshi NAKATOMI

描く過程から見えてくるもの

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僕は作品をつくるとき、制作の過程や完成品の撮影も自分で行なっている。できる限り、工程のすべてに自分の手をかけたいと考えているからだ。それは、自分の世界観をできるかぎり隅々にまで浸透させたいという思いもあるのだけれど、同時に「自分はなぜこれをつくろうとしているのか」「これは本当に自分のまなざしを通った表現なのか」と、自分自身に問い続けるためでもある。そうして積み重ねた問いの軌跡こそが、自分なりのカタチになっていくのではないかと思っている。

絵を描く、音を収録する、写真を撮る──。表現の手段は違っても、その過程や手ざわりには独特の空気がある。僕にとっては、その行為のひとつひとつがただの「手段」ではなく、すでに作品の一部になっているように感じられる。

たとえばペンプロッターで描くときには、ただ線を引いているのではなく、「描かれていく」という時間そのものに美しさを感じている。そのプロセスを映像として記録することも、僕にとっては重要な表現行為だ。完成した作品そのものはもちろんだけれど、どんなふうに描かれたか、どんなふうに撮るか。その選び方やまなざし・思考の断片からも、自分なりのカタチの輪郭が描かれているように思う。

僕にとっての表現とは、出来上がったものだけで完結するものではない。描いている過程を記録することで、「自分」を客観的に問い直すことができるし、完成した作品を自ら撮影することで、その意味や価値にもう一度触れ直すことができる。そうした“つくる前後”にある視線や時間もまた、作品の輪郭を形づくる大切なピースだと思っている。

だからこそ僕は、つくることに向き合うとき、その周辺にあるすべて──撮影も、編集も、見せ方も──自分の感覚で触れていたい。その積み重ねが、いつかどこかで「この人の作品だ」と感じてもらえるような、そんな小さな輪郭になってくれたら嬉しい。

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